6月 27, 2019

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「不便だからこそいい」意外と売れるロングセラー商品の秘密

 テクノロジーの驚異的な発達はわたしたちの生活を便利にしていく。買い物に行かなくてよくなったり、それがすぐに届いたり、運動しなくたって痩せることがあったり・・・便利は、最高である。 そんな当たり前のことに異を唱える学者がいた。京都大学の川上浩司教授である。果たしてその理由とは――? 3回にわたってお送りする。※本稿は『京大変人講座 常識を飛び越えると、何かが見えてくる』(酒井敏、川上浩司ほか著、三笠書房)より一部抜粋・編集したものです。「甘栗むいちゃいました」と「ねるねるねるね」 不便より、便利なほうがいい。それが世の中の常識です。それに、今ある多くの科学技術は、不便をなくそうという試みから発展してきたといっても過言ではないでしょう。 一方、私が学者として探し求めているのは「不便の益」です。要するに「不便だからこそいいこと、うれしいこと」を探すことをライフワークとしています。「不便だからいいこと」といっても、「そんなの、あるのかな?」と、読者のみなさんの中には首をかしげた方もいらっしゃるかもしれませんね。 われわれ工学系の人間は、とにかくなんでも「定義」したがります。ですから、まずは「便利」と「不便」ということがどういう意味なのか、定義してみたいと思います。「不便」とは、「手間がかかったり、頭を使わなくてはいけないこと」とします。 そうすると、その対極にある「便利」とは、「手間がかからず、頭を使わずにすむこと」と定義できるのです。そして、工学部出身者として、以前は「便利で豊かな社会をつくることこそ、自分たちの使命である」と信じていました。 ズバリ「不便」と「便利」の定義をわかりやすく説明するのに最適なものを一つ挙げるとするなら、「甘栗むいちゃいました」というお菓子がうってつけです。商品名どおり、むいた甘栗がパッキングされています。甘栗が大好きな人も皮をむくのは手間ですから、とても便利なのは間違いありません。 案の定、この商品は甘栗業界(?)の世紀のイノベーションとして、大ヒット。今もみんなに愛される定番品になっていますね。 ちなみに、「甘栗むいちゃいました」を世に送り出したクラシエというメーカー、実は「ねるねるねるね」という子ども向けのお菓子も販売しています。「ねるねるねるね」に入っているのは粉だけ。それらを付属の容器に出して水でよく練ることで、ようやく食べられます。お菓子づくりの過程の最後のひと手間をユーザーに任せてしまうのですから、ひどく「不便」な商品と言わざるをえません。 しかし、不便さにもかかわらず、ひと手間かけるのが楽しいからこそ、「ねるねるねるね」は子どもたちに大人気。ロングセラー商品となっています。「富士山エスカレーター」をつくったら・・・? 不便なのに、面倒くさいのに人気がある。世の中を探せば、そういうものは意外とあります。 最近、登山やトレッキングを趣味にする人が多くなりました。「登山」を先ほどの「便利・不便」の定義から考えると、まさしく不便です。体力も時間もお金もかかるし、頭も使わなくては安全に登れません。 この不便を工学的にどう解決するか。 私なら「富士山エスカレーター」を開発します。乗れば汗をかくことなく山頂へ一直線です。改良を重ねれば5合目から20分くらいで行けるようになるかもしれません。 いいでしょう? 便利でしょう? これこそ豊かな社会でしょう? ・・・少々、皮肉めいた言い方になってしまいました。そんなわけがありません。こんな「便利さ」はうれしくないはずです。余計なお世話でしょう。自分の足と頭を使って、汗水垂らして登るという不便さこそ、登山の醍醐味だからです。 しかし、考えてみてください。人の力ではなく、その水着を着るかどうかがタイムを左右する──そんな便利な水着が、本当に選手に喜ばれたのでしょうか。どこか腑に落ちない製品であったに違いありません。 最近は、低速走行中、衝突しそうになると自動でブレーキがかかる機能を、どのメーカーも多くの車種で標準装備するようになりました。「運転なんてしんどいこと、機械がやってくれますよ」というのがアピールポイントの、便利な完全自動運転が実現する日も、そう遠くない未来にやってくるかもしれません。 一方で、日本の自動車メーカー「マツダ」は、「Be a driver.(駆る者たれ)」をキャッチコピーとしています。「車を自分で駆ることができる喜びを捨てるの・・・?」ドライバーたちにそう問いかけているのです。ちなみに、衝突被害軽減ブレーキの性能は日本トップクラスなのに、です。 こうして、さまざまな世界の動きを見ていくと、私は思わずにはいられません。 ただ「便利」だけを追求することが、本当に豊かな社会に通じているのでしょうか。 単純に「便利」を追い求めていいのだろうか? その疑問は、「便利を追求すべき」と教えられてきた工学部の人間を、路頭に迷わせます。だから、こう考えました。「もし世の中に“不便でいいこと”があったら、それの使い方を研究すればいい!」逆転の発想です。不便でいいいこと 私が「不便でいいこと」の研究を始めたのは前世紀のことですが、そのころ、車のキーは大半が“差してねじる式”でした。 当時、ある学生が、彼女とドライブに行くのに自分のポンコツ車では恥ずかしいと、父親の新車を借りたそうです。最新式の車でかっこいいところを見せたかったらしく、目的地に着いたときわざわざ少し離れてからリモコンキーを押して、車のカギを閉めてみせました。 リモコンキーを押すと、「カギが閉まりましたよ」という合図にハザードランプがチカチカします。しかし、機械系を専攻していたその学生は、「制御の組み方によっては、ハザードが光っても、カギがかかっていないことがあるぞ」と思いいたりました。気づいてしまうと不安になり、彼は一度車に戻ってドアノブをガチャガチャ引っ張り、カギがかかっているか確かめたといいます。 この話を聞いてから、私もリモートでカギを閉めても、最後にはノブをガチャガチャさせて確認するクセがついてしまいました。 ところがです。先日、私の息子が新車を買ったというので乗せてもらったのですが、近ごろの新しいインテリジェント・ロックはさらに進化していて、カギを持っている人が近づくだけでロックを外してくれます。つまり、カギがかかっているかを確認するためにノブをガチャガチャしているのに、勝手にロックが外れてしまうのです。“差してねじる”のは、ボタンを押すのに比べればたしかに手間で不便です。でも、カギをねじったとき手にかかる反作用と、運転席、助手席、後部座席の4カ所から聞こえる“ガシャン”という音によって、機械じかけがきちんと作動したことが明確にわかるという利点もありました。 ハザードランプを点滅させるという、恣意的につくり込んだ約束ごとではなく、物理現象を通してカギがかかったことを確認できる。その安心感が心地よかったのに、不便解消の名目のもと、それらは失われてしまったのです。(第2回「京大教授が考察、遠足のお菓子が300円じゃなかったら?」に続く)
筆者:川上 浩司

参照:livedoorニュース

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